2007年4月17日火曜日

「米百俵 」の小林虎三郎

長岡は質実剛健の気風で知られています。

戊辰戦争の戦火で、長岡は廃虚と化しました。
藩士たちは、 食うや食わずの生活をおくっていました。
長岡藩の窮乏を見かねてある藩から救援米百俵が贈られてきました。

戊辰戦争の中の北越戦争

小林虎三郎は「この百俵の米は文武両道に必要な学校の設立にあてる」と言い、新生長岡のため、百俵の米を学校設立のために売却しました。
長岡高校も米百俵ゆかりの学校です。
この故事は山本有三の戯曲『米百俵』により知られることになりました。
英訳もでています。

小林虎三郎は、佐久間象山の門下で、吉田松陰とならんで象門の二虎と称せられるほど学問に秀でていました。

長岡には、米百俵の質実剛健の精神は今に脈々として生き続けております。

小林虎三郎
米百俵で未来を創った男ー 小林虎三郎
小林虎三郎:ながおかweb再発見小林虎三郎の史跡
長岡藩

目次


4月 (21)