2007年7月31日火曜日

柏崎原発は新潟県に電力供給していない

  • 柏崎刈羽原子力発電所は、世界最大の原子力発電所です。
  • 柏刈原発(かしかりげんぱつ)は、東京電力の原子力発電所なので、新潟県に電力を供給していません。新潟県は東北電力のエリアです。
  • 2002年の東京電力原発トラブル隠し問題で、国民は今回の事件にも疑いを持っており、新潟の海全体が汚染されたようなイメージをいだき、それが新潟県に風評被害をもたらしています。
  • 長岡市寺泊(てらどまり)から佐渡の赤泊(あかどまり)への航路を、両泊(りょうどまり)といいます。魚のアメ横とよばれる寺泊では、人出も例年の閑古鳥が鳴いています。
  • なお、新潟県の周波数は東京と同じ50ヘルツですが、佐渡は60ヘルツです。

2007年7月28日土曜日

『北越雪譜(せっぷ)』の鈴木牧之(ぼくし)

  • 夏用のスーツをもとめたら越後製でした。
  • 越後上布は、雪が作り出します。
    布を雪さらしにすると、オゾンによる漂白作用で、独特の風合いが加わります。
    重要無形文化財の越後上布の技法で、塩沢紬(つむぎ)、小千谷縮(ちぢみ)、十日町絣(かすり)がつくられます。

    これらは豪雪地帯の宿命を逆手にとり、気力で名産品に仕立て上げられました。
  • 鈴木牧之(ぼくし)はのべました。
    「雪中に糸をなし、雪中に織り、雪水に濯(そそ)ぎ、雪上に晒(さら)す。雪ありて縮(ちぢみ)あり。されば越後縮(ちぢみ)は、雪と人と気力相半ばして名産の名あり。魚沼郡の雪は縮の親というべし。」(『北越雪譜』)
  • 鈴木牧之(ぼくし)の『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』は、雪国の暮らしを最初に紹介した貴重な文献です。
    江戸に出向いた牧之(ぼくし)は、江戸の人々が越後の雪の多さを知らないことに驚き、雪を主題とした随筆で地元を紹介しようと執筆をはじめました。
  • 『北越雪譜』は、雪の結晶、雪国の風俗、暮らし、方言、産業などの諸相を、挿絵も交えて雪国の宿命を詳細に記した一種の雪国百科です。1837年に出版されるとベストセラーとなりました。
  • 牧之(ぼくし)は、文筆だけでなく、俳句を好み、絵をものし、書にも堪能でした。
    一茶との交流もありました。
    南魚沼市塩沢【中越の地図】で家業の縮の商いでも成功を収めました。
    また貧民の救済も行いました。
  • その昔、この塩沢紬(つむぎ)や小千谷縮(ちぢみ)、十日町絣(かすり)などの越後上布を集めて、全国にシアワセを配給した拠点が、いま地震でお困りの柏崎でした。


2007年7月25日水曜日

柏崎市のリケンは理研の申し子

  • 柏崎市のリケンは自動車のピストンリングでシェアの5割を占めていて、12社全社に製品を納入しています。
    中越沖地震で自動車の減産11万台にのぼります。
    リケンは、理化学研究所(理研)が設立しました。
  • 埼玉県にある理化学研究所(理研)は、日本で唯一の自然科学の総合研究所です。
    鈴木梅太郎、寺田寅彦、中谷宇吉郎、長岡半太郎、池田菊苗、本多光太郎、湯川秀樹、朝永振一郎、仁科芳雄などもこことかかわりがあります。
  • 大河内正敏(おおこうち まさとし)所長は、基礎研究を重んじました。農村への工場設置を唱え、1932年柏崎にピストンリングの工場をつくりました。リケンです。
    この会社は、継続と努力、発明でいきのこってきました。
  • 柏崎出身の田中角栄は大河内正敏にかわいがられました。 1943年に 田中土建工業を設立し、 理研工業(理化学研究所の産業部門)などの仕事で急成長しました。

2007年7月19日木曜日

越の変遷

越(えつ)の変遷図(クリックで拡大)

越(えつ)は上図のように5段階の変遷をたどりました。
越は長く閉鎖地帯であり、大化の改新後に3つに分けられ、823年に7カ国になりました。
  • 第1期
    • 北陸全体が、越(こし)の国とよばれました。
  • 第2期
    • 越前、越中、越後に3分割されました。
  • 第3期
    • 豊かな越前が越前、加賀、能登に分けられました。
  • 第4期
    • 若狭と佐渡が加わりました。
    • 若狭、越前、加賀、能登、越中、越後、佐渡の7地域となりました。
  • 第5期
    • 現在の福井県、石川県、富山県、新潟県となりました。

北陸3県といえば、福井(若狭、越前)、石川(加賀、能登)、富山(越中)のことです。この3県は比較的よくまとまっています。

北陸地方といえば、新潟県も入ります。新潟県は、北陸地方に入ったり、関東甲信越地方に入ったり、上信越地方に区分されたりします。


作図メモ
  • 第3期の越前、加賀、越中 2*1。越後4*1。能登2*1

2007年7月11日水曜日

越(こし)の国とは越前、越中、越後のこと

越(こし)の国


  • 越(こし)の国は、のちに越前(福井県、石川県)、越中(富山県)、越後(新潟県)に別れました。都の京都から見て手前にある地域を越前とよびました。
  • のちに越前が加賀、能登を生みました。
    718年に能登が越前から分かれました。
    さらに823年に加賀が越前から分かれました。
  • 越の国には、大陸、半島から多くの移民が来て文化を豊かにしたとといわれています。

2007年7月3日火曜日

新潟県の6エリア

新潟県の6エリア


新潟県の区分法のひとつに上のようなものがあります。
  • 新発田・村上、新潟・阿賀→ 下越地方
  • 長岡・柏崎、湯沢・魚沼→ 中越地方
  • 妙高・上越→ 上越地方

2007年6月23日土曜日

夏の湯沢は高原植物

湯沢高原 アルプの里
冬の越後湯沢は、スキー、温泉で有名です。
夏は高原植物がお招きです。

166人乗りのゴンドラで10分足らずで湯沢高原アルプの里につきます。
自然保護や健康志向の高まりもあるのでしょう中高年のバックパック姿が目立ちます。

幻の花 「ヒマラヤの青いケシ」

日本一のロックガーデンは、上越新幹線の大清水トンネ ルをつくったときの岩石でつくられました。

ここに、1000種の高山植物の主役「ヒマラヤの青いケシ」がひっそりとたたずんでいます。
高山植物は、きびしい環境のせいで、小さくちょろちょろ咲きます。

坂東眞理子の『女性の品格』には、「花の名前を覚えましょう」とあります。

アヤメヶ池

ピッツアレストラン

レストランは2007年6月にリニューアルしたばかりです。
日本ケーブルの経営になります。高橋支店長がご意見をお伺いしたいというので、観光情報学会の大内会長共々以下をのべました。
  • 2階には、オープンエアのベランダがほしい。すがすがしい高原の里にきて、屋内に閉じこめられたくない。
  • 1階のコーラの傘とテーブルは、地元湯沢の木製のものがふさわしい。
  • ガーデンはコンクリートではなく、土で固めてほしい。
アルプの里では、ボブスレー、ゴーカートも楽しめ、いずれ天体ウォッチも仲間入りしそうです。

2007年6月19日火曜日

北前航路で花火王国になった新潟

北前船(きたまえぶね)を運んだ対馬海流

  • 越後新潟は花火が盛んなところです。
    次のようないわれがあるようです。
  • 戦国時代、織田信長は火薬を盛んに使いました。
    火薬製造の元締めは、堺の商人でした。
  • しかし、江戸時代になると家康は鉄砲をきびしく取り締まりました。
    このため火薬職人は、鉄砲から花火に鞍替えしました。
  • これら花火職人は北前船に乗って越後にもやってきました。
    越後は広く、花火を打ち上げるにも見るにも最適の地でした。
    こうして、越後は花火王国になっていきました。
  • 長岡花火は、日本3大花火のひとつです。
    他は秋田の大曲、茨城の土浦です。
    650mもの花を咲かせます。
    長岡の花火は戦前も行われていましたが、
    1947年に長岡復興の象徴として復活しました。
  • 山本五十六の長岡は、1945年空襲を受け、1500人が犠牲になり、6万人が家を焼かれました。
    長岡空襲といいます。
    • 『にいがた観光通信』2007年、Vol33
  • 北前船のルートは、大阪→瀬戸内海→関門海峡→北陸→北海道の松前(函館近辺)でした。
    対馬海流は、小走りぐらいのスピードで走っています。
  • 1609 年家康は、船は500石積み以下とすることと決めました。
    マストは1本だけにし、甲板(かんぱん)は禁止でした。
    この禁令により、波の荒い太平 洋岸の航海は不可能になり、北前航路ができたのでした。

2007年6月10日日曜日

過疎を知らない胎内市黒川村

2000年11月、新潟市の銀座にあたる古町(ふるまち)で「どんどん」というお祭りをやっていました。屋台のそばと焼き鳥がおいしかったので、「どこからですか?」たずねたら、黒川村役場からの出張サービスだとのこと、早速黒川村へでかけることにしました。

新潟駅から南イリノイ大学のある中条(なかじょう)まで列車で1時間北上し、中条駅からバスで1時間乗りました。日本一豊かな村だそうです。若い人も多く過疎問題がありません。

伊藤孝次郎さんは1955年より村長をしています。75歳で海軍経理出身だそうです。採用辞令を渡した新入りの役場職員が今では退職する年齢に達しています。 12期48年の町長です。

30年間にわたり役場職員を1年間ヨーロッパの酪農場などの施設に派遣しています。外にでて日本をみ、自分の村をみるようにとの材育成計画からです。

黒川村や役場にはひっきりなしに見学者が訪れます。村長にアポをとるのに2ヶ月かかるとのことでした。役場職員は民間発想で腰が低いです。帰りがけに村役場の玄関をみたら「今日の視察団予定」の看板がかかっていました。

胎内(たいない)パークホテルにとまりました。1,2階が農林水産省の研修機関で、3,4階が国民宿舎です。公共機関からの補助をうまくつかってホテルを経営しているわけです。10年前から県外ナンバーの車も多くなりました。

事業はほとんどが村営です。以下のようなことがセールスポイントです。

  • スキー。 ゴルフ。 キャンプ。 テニス。 パラグライダー。 登山。 合宿。クアハウスクス(温泉浴)。。 遊園地と動物園。胎内フィッシングパーク。 胎内フラワーパーク。ポニー牧場。胎内川大噴水 ボート
  • 胎内高原ビール。 胎内牛。 胎内ハム。 黒豚。 馬刺。 そば処「みゆき庵」。越の胎内(地酒)
  • 黒川村郷土文化伝習館。日本最古の黒川油田。越後胎内観音。胎内昆虫の家。クレーストーン博士の館(黒川村粘土・鉱物資料館)

4冊本の『黒川村村誌』が出版されています。

黒川村は、いまは胎内市となっています。2000年の状況が今はどうなっているか、再訪したく思っています。

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【追記】2006年時点での黒川村の問題点です。
  • 胎内リゾートは1日2000万円の赤字
    • 長期計画がない  
    • 支配人が市職員で素人
    • 営業が弱い
  • ホテル宿泊者減は、暖冬も影響

2007年5月25日金曜日

新潟市は、日本海側初の政令指定都市

新潟市は、2007年政令市になりました。本州日本海側初です。権限と財源を県から移譲され、基本的に自己決定、自己責任で対応することとなり、最も自立した自治体であるといえます。17市が政令市です。

強いところはより強くという市場原理主義を反映したものでしょう。

新潟市の人口は80万で、新潟県の人口の3分の1を占めます。
いま新潟市のはずれにすむお年寄りは、市役所までいくのに半日がかりです。
国が電子政府をすすめたがるの

2007年5月16日水曜日

『新潟日報』が盛んな新潟

新潟では、『新潟日報』が盛んです。戦国時代の雄藩であったところは、地方新聞が盛んなようです。(cf. 司馬遼太郎)

  • 上杉謙信の『新潟日報』
  • 伊達政宗の『河北日報』
  • 長宗我部の『高知新聞』
  • 島津の『南日本新聞』
  • 信長、秀吉、家康の『中部日本新聞』

2007年5月13日日曜日

なぜ長岡藩は、学問が盛んだった?

世帯が10万石以下の小藩には、学問の盛んな藩が多いです。

越後の長岡藩、越前の大野藩、石見(いわみ)の津和野藩などがそうです。

大藩に対抗して存在を示すには、学問が格好の題材でした。偉い医者や学者を出すと、殿様は江戸城で大いばりできました。

シンガポール、イスラエル、スイスなどを彷彿させます。

長岡の逸材

  • 良寛:禅僧
  • 河合継之助:長岡藩軍事総督
  • 山本五十六: 連合艦隊司令長官
  • 小林虎三郎: 米百俵
  • 三島億二郎: 河合継之助を助けて藩政を改革
  • 井上円了: 東洋大学の創設者
  • 小金井良精(よしきよ): 人類学者。星新一の祖父
  • 堀口大學: 詩人
  • 櫻井よしこ: ジャーナリスト

2007年5月7日月曜日

日本海航路の拠点であった佐渡


明治までの上方からの奥州航路は、
大阪→ 瀬戸内海→ 下関→ 佐渡島→ …
であり、この日本海航路が日本経済の中枢を占めていました。当時は、佐渡から全国経済を見渡すことができました。

新潟港をめざす船もたいていは風待ちなどで佐渡に寄港しました。

佐渡の言葉が上方アクセントになっていて、越後弁とことなるのはこのためです。上方文化のあとは、村々の能舞台や京都をおもわせる家屋にしのばれます。

また佐渡は天領(幕府直轄領)でしたから、大量の江戸文化も入りました。

こうして、地の文化は上方文化で、支配層の文化は江戸文化となりました。

ゆったり生活できる天領であり、2大文化の洗礼を受けたためか、島民の気風は、越後とちがい、温和でのんびりしています。対馬暖流が島をめぐっているせいで、雪もさほど降りません。

越後は佐渡には関心を示さず、上杉謙信がはじめて占領しました。しかし、貿易政権であった豊臣政権は、金を必要としたので、金を納めさせましたが、その他には無干渉でした。

佐渡の金山は江戸初期には世界有数の産額を誇りましたが、中期以降は次第に衰えました。

人口は、12万を超えたこともありますが、減少傾向にあり、いまは6万台です。

2007年5月3日木曜日

2007年5月1日火曜日

新潟市のうわさ

chakuwikiから新潟市のうわさをまとめてみました。

  • 本州日本海側で最大の都市で、盟主になろうと画策しており、金沢、富山が抵抗。
  • 本州日本海側としては初の政令市に
  • 新潟市のシンボルは萬代橋
  • 新潟市の周りを長岡市にぐるっと取り囲まれている。
  • おそらく、昔は色々と見るべきところはあったのだろうが、なんでもかんでも破壊していった。
  • 金沢には華を感じるが新潟にはロシアや朝鮮という寒さを感じる。仙台は半歩ではなく一歩先(悲)。
  • 新潟市にもついに都心回帰現象の波が!市中心部に19F以上の高層マンションが続々と着工。
  • 新潟空港は国際線が充実。ロシア極東の中心都市ウラジオストックへは唯一の連絡窓口である。イルクーツクやハルビンなどマニアックな路線を多数抱える。

2007年4月29日日曜日

遊ぶまち新潟市

2000年、「新潟市郷土資料館」(いまは閉館)に入りました。

背丈ほどの竹をたてに割り、乾燥させて文字を記したものを「柱かけ」といいますが、それが新潟県指定文化財になっておりました。次のようなことが昔のことばでかかれてありました。

「用事があっても早く起きるようなことはするな。

暇があってもこつこつ働くようなことをするな。

金は恋のために使い、宝は酒に使え。…」


そうです。地元の人にいわせると、新潟市はあそぶ街です。

飲み屋が3000軒あります。それも市内一円どこにでもあります。町中が歓楽街です。1坪空き地があったら、新潟市民は飲み屋を始めます。

「杉の木と男は新潟では育たない」といわれます。
米がうまく、魚が新鮮で、酒が上等で、女性が従順でつくすので、男は飲んで遊んでふぬけになるからです。

天領だったせいで、お上まかせでのんきな土地柄です。
『堕落論』(新潮文庫 ) の著者 坂口安吾はこの地の人です。

小 沢昭一に『美人諸国ばなし』(新潮文庫 ) があります。

美人は日本海側では、秋田、新潟、石川、京都、島根と県を一つおきにとびこえて生まれます。

新潟美人は、信濃川、阿賀野川という川のきれいな 水で育つのでしょう。水が化粧水となるからでしょう。

そういえば、美人の産地は、きれいな水を必要とする織物の町でもあります。

新潟市には、芸子専門学校があり、いま80人が学んでいるそうです。
新潟の女性は口が堅いので、芸子に最適とのことです。



2007年4月27日金曜日

さかさ日本海地図でみえるもの <地図

さかさ日本海地図でみえるもの <地図


日本海をさかさにしてみると、日本海は波おだやかな湖であることがわかります。古来より大陸から多くの人々が日本をめざして渡海してきたことでしょう。石川県には野球の松井秀喜 、水泳の山中毅 、相撲の 輪島など大柄のスポーツ選手が目立つのも、大陸の渤海(ぼっかい)国などからの立派な体格の先祖に負っているのかもしれません。

輪島は、古代の大陸人が「倭島」とよんだことに由来するという説もあります。

義経がひよどりごえで使った馬は、小さな日本馬ではなく、大陸からの大柄の馬でした。

政治家には、田中角栄、加藤紘一のようにアメリカにきびしく、中国、ロシアよりのひとが目立ちます。

日本を、文化的にも、経済的にもゆたかにするためにも、日本海側は大陸との交流を一層深めてほしいものです。

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