2007年4月17日火曜日

雪国は輸送が重要:山本五十六、田中角栄

山本五十六(いそろく)は、日本、ドイツ、イタリアの三国同盟に最後まで反対し続けました。連合艦隊司令長官として太平洋戦争の指揮をとり、搭乗機を撃墜されて戦死しました。

五十六は、輸送のもととなる石油の重要性に開眼し、ワシントンの日本大使館に駐在しているあいだ石油問題に取り組み、メキシコまで油田の調査に出かけました。

戦場におもむいた若人をうたった歌です。
「益荒男(ますらお)の行くてふ道を ゆききわめ わが若人ら 遂にかへらず」


山本帯刀(たてわき)は、長岡藩の有力者で河合継之助の藩の改革にも大いに協力しました。維新後は山本家は廃絶されました。この山本家を再興する形で継いだのが、山本五十六です。五十六は父が56歳のとき生まれました。


長 岡市は田中角栄の選挙地盤でした。角栄も五十六を習ってか、輸送、燃料の重要性に気づき、アメリカのみに頼っているのは危険だと、中国に近づき、ソ連のウ ランにも目をつけました。これがアメリカの逆鱗に触れ、ロッキード事件を意図的におこされつぶされました。関越自動車道、上越新幹線は角栄の遺産です。
雪国の人は輸送手段の確保に心を配ります。上杉謙信が天下を取れなかったのは、雪に道をはばまれたからでした。

佐川急便の創始者佐川清も新潟県生まれです。

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